囲碁を趣味とする目的っていったい

こんにちは。

涼しくなってきて少しやる気が戻ってきました。私自身気づいていなかったのですがkifudepot公開からすでに一年が経っていました。やる気が戻ってきたので何か新しいページでも書いてみたくなってきています。

さて、表題の件。今日Twitterを見ていたら下記のツイートを見つけました。


この「ひでクン」さん。私は知らない人だったのですが、フォロワー数が多いのである程度知名度のある方なのかもしれません。どこかの掲示板から取ってきた文章を貼り付けて、その内容を非難しています。引用元の発言も人を嘲っているような不愉快な書き方が鼻につきますが、ひでクンさんも「害悪」とか「頭がおかしい」「(笑)」「バカ」など、かなり汚い言葉を用いて感情的に非難していて、正直私はひでクンさんに対してより大きく悪感情を持ちました(この文章を書いた後にひでクンさんの他のツイートを少し見てみましたが、意図的に炎上させて注目を集めようとするタイプの方のようです)。個人的には、「匿名」掲示板で誰だかわからないTwitterユーザーをあげつらう行為もそれに対して直情的に汚い言葉で非難する行為も時間の浪費にしか思えません。

で、肝心の内容なんですが、引用元の発言を要約すると「強くなる気のないファッション囲碁勢には近づくな」とでもなりますかね。アカウントを名指ししているところ以降は重要ではありません。「ファッション囲碁勢」とは私が今作った造語で「ファッションオタク」の囲碁版です。囲碁を趣味としているということ自体を利用して他人とコミュニケーションを図ったり周囲に対して自分をアピールする人達や、正直ここに含めていいのか疑問ですが、囲碁を打つことなく専ら囲碁ネタについて話す人達のことを指します。この発言に対してのひでクンさんの非難は

「強くなる必要はない。打つ人をどうやって増やすかが大事」

というものです。このツイートに「ん???」と首をかしげる人も多いのではないでしょうか?

「強くなる気のないファッション囲碁勢には近づくな」

「強くなる必要はない。打つ人をどうやって増やすかが大事。」

前半は引用元に対応した答えになっているので問題ないのですが、後半の「打つ人~」はどこから出てきた指摘なのでしょうか。もちろん普及は囲碁界にとってとても大事。大事。大事ですよ。しかしそれは普及する側の人間に対してするべき指摘であって、おそらくいちアマチュアである引用元に対して発しても困惑されるだけなのではないでしょうか。碁会所でお客さんが他のお客さんに対して「普及大切だぞ。囲碁人口どうやって増やすんだ」と言っても相手は普通「え・・・・・・」となるでしょう。ということはひでクンさん、囲碁普及が趣味なのでしょうか。普及が趣味なので周囲にもそれを勧めているのでしょうか。という皮肉も言いたくなります。ともあれ「打つ人を~」の部分は明らかに引用元とは無関係と思われるのでありていに言えば的外れです。

ちゃんと考えたいのは「強くなる必要はない」の部分です。私、これに関連してひとつあまり思い出したくない記憶があります。碁会所であるお客さん(Aさん)と打っていました。打ち終わって整地して勝敗を確認して少し検討をしている時に、Aさんが打った悪手と思われる手を私が二つか三つ指摘したんです。そうしたらAさんが突然語気強めに「私は強くなるために打ってるんじゃない。楽しむために囲碁を打ってるんだ」という趣旨の発言をされたのです。結局若干空気が悪くなったためAさんとはそれ以上打ちませんでした。これはつまり「私は囲碁を打つことで楽しい気持ちになりたいだけなので、勝ち負けなんて関係ありません。悪手の指摘などして私の気分を害さないでください」ということになるのでしょうか。囲碁は勝ち負けを決するゲームなのに、勝とうが負けようが関係ないというのでしょうか。このAさんのような「打つことそのものを目的とする」スタンスは前述の「ファッション囲碁勢」ともまた異なっています。増えてきたので今まで出てきた三つのスタンスを示します。

1.ファッション囲碁勢
(1-a.)囲碁ネタでコミュニケーション(含観る碁)
(1-b.)囲碁が趣味であることを周囲にアピール
2.囲碁を打つこと(手談)でもってコミュニケーション(を楽しむ)
3.囲碁の上達を目指す

これらはスタンスと言うよりも囲碁を趣味とする目的と言った方がいいですかね。どれかひとつだけを採らなければならないわけではありません。おそらく2と3ふたつともを目的とする人が多いと思われます。Aさんの話に戻しますと、彼は1については不明ですが2を目的としている方ということになります。会話の内容よりも会話そのものを楽しむという感じでしょうか?それもちょっと違う気ような気がしますね。こうして文章に起こして外側から見てみるとふーむそういう人もいるのだなぁと感じられますが当時は私自身かなり困惑、動揺したものでした。ですが2だけというのもアリなのでしょうね。

書いていて思ったのですが、1だけもしくは2だけを目的とするという人はいても、3だけが目的だという人は中々に想像しづらいですね。不思議です。もしかして3は2に従属するものなのでしょうか。

書いていることがとっちらかってしまったので結論に入りますが、自分なりの結論としては、囲碁を趣味とする目的としてコミュニケーションを楽しむというのが根幹にあることは間違いなさそうです。また、ひでクンさんの「強くなる必要はない」というのはその通りだと思います。上達する喜びは目的のひとつにはなりえますが、絶対的なものでもありません。ただし、囲碁は本来的に地の大きさを争う勝負事であることから上達を軽んじるべきではないとも思います。

締めの言葉を考えるのが面倒なので、以上です。

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